手打ちそば こいけ 〜平皿

IMG_3637

旅先では、些細なことまでずっといつまでも記憶に残っていて、話の再
開と同時にその時のその場所へ戻ってゆくような、懐かしくも、現実味
を帯びた気持ちになることがある。
何処に行ったということよりも、そこで出会った人や食べもの、
景色や匂いを、五感が記憶しているのかもしれない。

近場とはいえ、旅の途中にふらりと寄った店のような、そんな味の記憶
を留めさせてくれるたべものやが、秩父にも何軒かある。
中でもここ”手打ちそば こいけ”は、味だけではなく、作り手のこれまで
の道程や、現在の古くてきりりとした店構えにおいても、普段の生活で
は得難い背景が見えてくるのだった。

IMG_3631

IMG_3595

西武秩父駅にも徒歩圏内、国道沿いに構えるお店は、全国区の蕎麦好きに
とっても秩父の蕎麦屋といえば知らぬ人は居ないその名に反し、いたって
地味な佇まいだ。もともと”騒がしい蕎麦屋”とはイメージするところじゃ
ないけれど、ここは、殊の外静かだ。1人でゆっくりと、蕎麦を味わうた
めに行くことが出来るお店の、お手本のような所だ。
意外にも、ありそうで無いような気がする。

そうして席に着きお茶をいただきながら、カウンター上の手書きのお品書
きをひととおり見渡し、ついぞやどうしても、"天せいろ"を頼むのだった。
1つ目にはもちろん、美味しいからという理由にあるが、2つ目には、我
らが工房の平皿を、天ぷら皿として使ってくださっていることにある。自
分らの手がけたお皿が、自分達の好きな味と店構えと、人の深さを感じさ
せてくれるこのお店とコラボレーションしている様を、今日も嬉しくも不
安げに、見にきた生みの親なのである。

IMG_3598  

ほどなくして、揚げたての天ぷらを盛られたその平皿が、そばと一緒にお目
見えした。皿には天ぷら用の和紙が敷かれていて、どんなお皿なのかは全貌
は見えない。単に蕎麦を食べに来た人だったら、なんの気にもならないだろ
う、その平皿から和紙を取り除き、お膳との高さのぴったり具合や、裏に入
れた鳥の焼印などを見ては、表情には出さずとも内心かなり嬉々としている。
蕎麦を食べに来て、和紙を退いてまで皿の裏や表を見回しているのはおかし
な光景で、はしたないのだけれど、やっぱりつい見てしまうのを大めに許し
ていただいているのだと思う。そうやって目で見ながら、蕎麦の芳しい香り
する細めの十割を濃いめのつゆにつけて食べては、本当に美味しいと、改め
て思うのだった。

この日は、作業員と私の二人ででかけ、平日の小雨降る、昼時も少し回った
ような時間だったから、混雑時は二時間待ちも当たり前と聞く日とはうって
違い、幸いにも、こいけさんご夫婦ともお話も交えながら、そばがきも注文
しては食べ、振る舞われたお茶や菓子もありがたく平らげつつ、ゆっくりと
落ち着いた時間を過ごせたのは、このうえなく運が良かった。

IMG_3615

IMG_3664

話の中で出てきた、ご主人が銀行員を辞めて蕎麦職人になったということ、
開店当時、秩父地域で蕎麦屋自体がそんなに多くなく、あったとしても蕎
麦しか出さない蕎麦屋は無かったこと(蕎麦屋というと大抵宴会場とセッ
トになっていて、カラオケが必ずあるものだったそうだ)、また、自家製
の、蕎麦を挽く臼を使っている所も売っている所も他に無く、自分で設計
した粉挽き機を自動車修理屋で作ってもらったこと、、といった歴史を聞
くと相当の苦労をされたようだが、自分の好きで好きなように、でも食べ
れば本当に美味しくて納得のいくものを出したい、、という気持ちから、
同じ場所で40年続いているのだということを知り、正に自分達の手本と
したいような生き様を、ご本人から直接伺えたということにありがたい気
持ちになるばかりだったのだ。
とはいえ、そういった話はいたって訥々と話されるもので、時々横から、
奥様の優しくて淡々とした間の手が入ったりと、「職人とは、、、」とい
うような、構えた重苦しいものでは全くないのである。そこにこそ、この
人達がここで愛され、師と仰がれる理由があるように思えた。

IMG_3662

もうひとつ印象に残っている話だ。こいけさんは、これまでにも5人程お弟
子さんを抱えたことがあるそうで、今でも弟子入り希望の若い人がやってく
るときがあると言う。そして、受け入れるかどうか決めるのに、確かめるこ
とがあるのだと言う。「いままで、いろんな仕事してきたの?してないなら、
もっと社会経験積んでからおいで。」そう言うんですよと、こいけさんは言
っていた。それを聞いたとき、ああ、なんだってそういうことなんだなあと
思った。歌だって絵だって小説だって、その人の経験や想いが、作品に出て
しまうものだよなと。その後何を由とするのかは個人の好みだけれど、なに
かを1つ生みだすための力の中には、他のものを知ったり感じたりする経験
や力もとっても大事なんだと思えるし、それは木工であっても同じことなん
だ。つくるときにつくるものへと気持ちを込めることで、出来上がりは確実
にかわるものなんだ。

毎日蕎麦を食べるという、こいけさんご夫婦の顔つやと血色の素晴らしいこ
と。蕎麦というものが健康食であるに違いないけれど、それよりも、これま
での誠実な仕事ぶりと多種多様に渡る深い知識と経験が、良い具合に協力し
あって、外面にまで現れているんだと、気づくことに驚きもし、また、自分
達もそんな風に時間を経てゆきたいものだと思うのだった。

スナップ・文/足立由美子(2011年6月)

IMG_3667

◯手打ちそば こいけ   ※2016年9月末に閉店されました。